アパルトの中の恋人たち

好きなことを好きなだけ書ける場所を

どこまでも自分

 

ハッピーになるにも

不幸になるにも

自分の考え方次第なんだなあって

何回も気付く。

 

この前、大学の大切な友達と電話していて

自分のプライドがいつも、自分の行動とか気持ちを制限していることに気がついた。

 

三月後半くらいから、私は本当に泣いてばかりだったけど

不幸でいるのって楽だけどとっても疲れる。

 

物事の捉え方だけで世界の見え方は変わる。

一般的に考えて、とか、普通は、とかもうどうでもいいやって

一回死のうとした時に思ったんだった。

 

私は好きなことして好きな人に会って楽しく過ごしてから死ぬことにしてる。

 

好きってところを制限することは私にとって何よりも辛くなってしまうんだと思う。

だからお酒もタバコもご飯もランジェリー(お財布と相談は必要)も制限しないし

会いたい人には会う。別に関係性に名前つける必要もない。

私にとって大事な人たちに私は会いたい。

 

そこを制限すると物事成り立たなくなる。

好きなことを自由にできている限り、私はきっと嫌なことも乗り越えられる。

 

それから、事実をただ事実として受け入れて生きていくことが大切なのかもねえって昨日思ったりした。

ある出来事から派生する妄想が心の不安の面積を増加させる。

 

その派生している部分で落ち込んだり悲しくなったりすることがほとんどで

出来事の捉え方がネガティブだとその妄想が止まらなくなって

しのうとしたり、自分を傷つける行為に走りやすくなる。

 

自分の妄想で勝手に傷ついてしまっているんだってことに気付いたんだよ。

起こったことも他のことと関連づけて考えてしまって、

実際繋がっているのかもしれないけど

全部の出来事は独立してるって思えば

自分にとってはそっちが事実だ。

 

何を書いているのやら分からなくなってきたけど

私にとっての小さくて大切なことを大切な人に伝えられたのはよかった。

あっちがどう思うとかはもうどうでもよくて

伝えられたということが事実で全てだよ。